私たちは、この人生に、何を目的に来たのだろうか。
人生の意義や目的が分からず、右往左往している人が多いのが現実のように思う。
何か大きな事業を成し遂げるために、生まれて来たわけじゃない、のは何となくわかる。
"私"として、なぜ、この環境、この時代に生まれて来たのだろう?
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今日、気づきを戴いたのは、"経験しに来た" ·····ということだ。
目的が分からず右往左往することも、人生の意義が見えないことを悩むのも、きっと意味のあることなのだろう。
何でも積極的に"経験"をして行こうとする。
そして"穏やかな目で"、愛ある第三者の心で
自らを外から眺める·····。
"失敗"もいい。
"愛"が見えなくて苦しむのも、いい。
人生の終盤に近づけば「唯の経験」だったことが解るだろう。
それもすべてが懐かしく、ほろ苦いものに
変わるかもしれない。
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大きな成功を人生で収めた方の話を聴くと、
ほとんどの成功者が「苦労」や『失敗』を
懐かしそうに語るのだそうだ。
上手くいったことの意義は、
人生に於いて"失敗の経験"より、もしかすると低い位置にあるのかも知れない。
確かに、
学べるものは"失敗"からの方が多い。
人を傷つけるとか、苦しめるような間違いや失敗でなければ、歡んでやればいい。
·····もしかすると、その為に此処に来たのだ。